思い悩む2023年5月


地震があったそうですね。自分は全く気付きませんでしたが、ギルドの仲間がその地域でしたので驚きました。ただ元気そうでしたので気持ちが救われましたが、こうした災害を身近に感じますと恐ろしいほどの無力感に襲われます。無力感というよりは罪悪感でしょうか。無力なことは仕方ないとしても自分はノホホンと過ごしているものだとの申し訳なさに囚われます。世の中に不幸が多数存在しているのに、それに知らないふりをして楽しい部分だけを見つめて生きていることの罪を改めて目の前へと見せ付けられるわけです。それともそれは罪ではないのでしょうか。もっと身近に例えるなら、イジメを受けているクラスメイトがいるのに見て見ぬふりをしているようなものとも思えます。イジメに例えると見て見ぬふりは十分に同罪とも思えますので、そう考えると世の中の不幸に見て見ぬふりも十分同罪なように思えます。こんなことを考えるのが無駄でしょうか。なにせ、そう考えてたとしても私には世の中の不幸を変えようと生きる生き方にはなれないと思うからです。だとしたならば、そもそも考えないほうが自分の人生を謳歌出来るように思えまして。じゃあ自分が不幸になった時には手を差し伸べられなくてもいいのか?というと差し伸べて欲しいと思うため自身の賎しさを感じるのでございます。普段は見て見ぬふりで困った時には助けを求める。自身が嫌になります。そして少なからず同じような人間は存在すると思うことで、何となく自身に許しを与えているのでした。気が重いのも明日になれば変わっています。こんなことで良いのでしょうかねぇ…せめてもの罪悪感を拭うために寄付をしたりもするわけですが、それでも寄付はしたほうがいいと思います。お金はどんな思いなども関係なく只々役立ちますもの。それで助かる人がいるわけですもの。さてさて本日重くて申し訳がございません。ギルドの仲間に何かあったのなら、せめて何かは出来ないだろうか?とは思う次第でございました。こんな人間が役立つとも思えませんが。明日はこの重みを引きずらないように致します。とのことでして、ぷよぷよ!!クエストの世界で遊んでいる仲間は本物の人間であることを改めて感じます。ただ自分だけが楽しむためだけで飛び込むのでしたら、大きな失敗もしかねないゲームかも分かりません。周りが人間であることを忘れないようにしたいと思えました。